【幸せ032】 幸福の科学の『与える愛』の問題点 3 (補足です)

 「与える愛」の問題点について、1&2で書き切ったつもりでいたのですが、2のコメント欄でカチカチさんとXYZさんから問題提起がありました。言われてみますと「与える愛」という言葉そのものに矛盾と問題があるようです。私自身まだ消化不良なのですが、わかる範囲で書いてみようと思います。


 幸福の科学では「与える愛」を教義に掲げています。それはひと口に「愛」と言っても相手のためにならない「愛」も存在するからです。たとえば親が子供を溺愛する余り、自分から離れていかないように甘やかし、依存心を強め、心理的に拘束するようなケースがあるからです。これなどは「愛」と言っても子供のためにならない愛です。このような愛を幸福の科学では「奪う愛」と呼んで区別しています。アンチの私もこの点は、「なるほど、そうだ!」と賛成しています。

 また幸福の科学では、この「与える愛」もレベルに応じて数段階に分類しています。低レベルから高レベルの順に、このように分類されます。
  本能の愛 (4次元精霊界の愛) ・・・ 普通の人間。性欲がベース
  愛する愛 (5次元善人界の愛) ・・・ 善人。他人に親切にする事を喜ぶ愛
  生かす愛 (6次元神界の愛)  ・・・ 専門家や指導者。部下の能力を育てる愛
  許す愛  (7次元菩薩界の愛) ・・・ 名声を求めない聖者。未熟な凡人をも許容する愛
  存在の愛 (8次元如来界の愛) ・・・ 「この人がいてくれて良かった」と言われる偉人
  救世主の愛(9次元超如来界の愛)・・・ 実は詳しい説明はされていない

大川隆法の初期の本に、「人を愛し、人を生かし、人を許せ」という書籍がありますが、これは上記の5次元から7次元の愛の呼び名からとったものです。

 世間一般では「愛」は無条件に素晴らしいものと考えられがちですが、「いやいや、愛にも2種類あるんだよ。『プラスに働く愛(与える愛)』と『マイナスに働く愛(奪う愛)』があるんだよ。私たちはその違いをはっきり認識して、『プラスの愛』を実践しよう」と言うのが初期の幸福の科学の教えでした。わたしもこれには「なるほどー!」と共感したんです。


 しかし理屈ではそうなんですが、現実をこの通り単純に処理できるでしょうか? コメント欄常連のカチカチさんは指摘します。「愛という概念は、その中に『お互い平等』という視点を含むものではないだろうか? 『与える愛』と言った場合、どうしても上の者が下の者に与えるという発想に陥るのではないか? 真理を知っていると勘違いして、自分は偉い人という考えになってしまうのではないか? それが幸福の科学にありがちな『上から目線』になるのではないか(意訳)?」、と・・・。

 私もこの意見には考えさせられました。確かに無力な幼児に親が見返りを求めず与えて与えて育てるというのも美しい愛のひとつです。でもこういった行為は別に宗教が説かねばならないほどの事ではありません。どんな人でも、どこの国でも当然の事として行なわれています。

 自分より力のない者に手を差し伸べる事は、割と簡単な事です。むしろ宗教が説くべきは自分と対等の相手に対する愛でしょう。それはキリスト教では『隣人愛』と表現しています。私は聖書も忘れ気味ですが、イエスは「汝を迫害するもののために祈れ」、「下着を取られたら上着も差し出せ」、「七の七十倍許せ」と言っています。そこには「与える」という言葉につきまとう、「上から目線」のイメージはありません。イエスが説いた愛はむしろ、『許す愛』のように感じます。


 カチカチさんはさらに指摘します。『与える愛』という言葉の中に、『与える(上下感覚)』と『愛(平等感覚)』という矛盾するイメージがセットになっていると・・・。これだと信者は無意識の内に混乱してしまいます。カチカチさんはこれを『ダブルバインド(二重拘束)』と表現しています。私も心理学は詳しくはないのですが、私なりの解釈だとこういう事になります。

 子供に「こっちへおいで」と言って、子供が近寄ると怒鳴って突き飛ばす。突き飛ばされた子供は状況が理解できず混乱する。あるいはサラリーマン社会で上司が部下に「何かあったら事前に相談しろ」と常日頃言っている。ところがいざ相談すると、「そんな事も自分でわからんのか!」と怒鳴られる。これに懲りて相談しないようにすると、「なんで相談しないんだっ!」と怒鳴られる。部下もやっぱりどうしていいのか判らず混乱します。こんなのを長年続けられると確実に精神が崩壊してしまいます。これが『ダブルバインド』です。命令と結果に矛盾するものが内包されています(私の理解ですので間違っていたらごめんなさい)。


 『与える愛』という言葉も同様に、命令の中に矛盾する2つのモノが内包されています。幸福の科学の教義ですと、人間はみな本源の神から分かれた存在であると説かれています。現在、黒人・白人・黄色人種とさまざまな肌の色に生まれていても、元々あの世ではこの地球をユートピアにしようと誓い合って生まれてきた仲間であり、今回たまたま違う人種・違う立場で生まれただけで平等なのだと教えられます。だから「お互い愛せよ」という教義です。

 ところがここに『与える』という言葉がセットで付いて来るんですね? 与えるためには相手より優れていなければ与えようがありません。無意識のうちに、本来対等であったはずの相手と普通に付き合えず、「この人に真理を教えてあげなければいけない」という上下感覚が入り込んでしまいます。信者は決して馬鹿でも悪人でもないのに、その行動がどことなく不自然でぎこちないのは、『与える愛』という言葉の中に相矛盾する概念が包含されているせいでしょう。

 信者が実際にやっている事は、献本・伝道・講演会へのお誘いです。これらはすべて教団の都合であり、一般の人にとって特にありがたい事でも感謝を感じる事でもありません。信者は一般の人から評価されない活動を一生懸命やっていますが、どうしてもむなしさが残ります。そこで幸福信者は「我々の活動はあの世からみたら素晴らしい事をやっているんだ。人々に『与えている』んだ!」と無理矢理こじつけます。そう思わなければやってられませんもん。

 この辺はXYZさんのご指摘の通りです。たいした事をやっていないのに、無理矢理「自分たちの行為は、世界人類救済のために最高の貢献なのだ」、「我々は与えているんだ!」と、自分自身に思い込ませているのが幸福信者なのです。自分の心を押さえつけ、無理矢理納得させています。この辺の葛藤が信者の心を不安定にし、ますます洗脳を深める原因だと思います。


 全体的にまとまりのない文章ですみません。私もこの辺になるとなかなか理解が追いつかないのですよ。



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よく分からないけれど

お疲れ様(o`・ω・)ゞデシ!!

「与える愛」って言う言葉自体がダブルバインドかどうかは、ちょっと分かりかねます。
 おっちゃんの文章の、子供さんや上司の話はダブルバインドでしょうけれど。

「与える こと(!)」 = 「愛」

ともちょっと違うし、
 (「与えさせてもらうこと(言い換えて、させてもらうこと)」=愛 なら
 まだ分かりますけれど)

そもそも、「愛」は与えられるものなのか? って疑問も・・・。

で、σ(・・*)なりに。いつもの電器屋で行くと。

「新品のTVがある家に、無理やり新しいTVを与える(置いてくる)」 
これは明らかに、愛でもなんでもなく、ただの迷惑!!

「TVが欲しい! という方のところに、どういうものがいいか相談して
出来るだけ条件に合うように(お金の面でも)、させてもらう」
こっちは、普通の商売の感覚だけど、うまく行くパターンだと思うんです。

もしかしたら、この後者のほうを「愛」とかなり大きく出ているんではないかと思うんです。

で、前者の偽物を「与える愛」っていう、聞こえのいい言葉で
ごまかしているようにしか見えないんですね。

σ(・・*)もなんだかよく分からない文章になってしまいました><

(=^. .^=) m(_ _)m (=^. .^=)

解り易いです

取り急ぎ、ありがとう御座いました。
わかり易いですね。
信者さんにこのブログを白紙の目で、ぜひ見て欲しいですね。
白紙の目は仏抜きの自分の良心の目でお願いしますね。

おまとめいただきましてありがとうございます

2ちゃんねるの使者さん。
いつもありがとうございます。

大川隆法の自称「法」は曖昧で不確定なものです。
検証が必要ですね。
検証がしにくい事実もありますが、結局はパクリのオリジナルなので物差しになるものがないためです。
せめて具体的になんなのか、いろんな角度からの説明が必要なのですが、大川隆法はそれをやりません。
曖昧なままです。その曖昧さを洗脳に利用しています。

読んでいてまた感じたことなのですが、みなさんがおっしゃる通り、教団では愛と魂の発展をリンクさせて「許す愛」「生かす愛」が出来るから霊格が高いといった誤解があると感じました。

家族が友人が過ちを許すのは、相手のことを思い、より良い人間関係を実践したいためで「許す愛」を普通に実践しています。これを高次元の愛だといちいち思っていません。
良い教師は「生かす愛」を普通に実践しているわけで、これを高次元の愛だといちいち思っていません。
これをことさらに大きくし、教団の拡大に利用するのが宗教だと幸福の科学ではとらえているようです。

信者は「生かす愛」が出来るようにならないといけない、「生かす愛」実践する自分は霊格を高めていかないといけないなどと「生かす愛、生かす愛」と執着しながら献本しています。これは自分の成長のために「生かす愛」を実践しているわけで、実際は教団がいうところの見返りを求める「奪う愛」です。

こういった、言葉や理念と行動の不一致は、精神に混乱をもたらすメッセージとなるだけです。

私は信者時代、ずっと不安な気持ちがありました。
信者になってからの度重なる不幸を幸福の科学の教えでは何も解決できませんでした。
幸福の科学の教えとなる「法」と呼ばれるもの前提を何も検証せず、鵜呑みにしている自分に気づき、いろいろ知識を増やしました。少しばかりですが。
宗教や哲学、歴史の知識や、正しい思考、議論、詭弁の見抜き方、文章の構成、心理学、脳科学などなど。。。
その結果自分は、ただ宗教のイメージやムードで幸福の科学を判断し、信用していたことに気がつきました。
脱会後は、とても心が軽くなったのを覚えています。
「もうしばられなくていいんだ」
この正直な気持ちは、幸福の科学の「法」と呼ばれる言葉や理念と、教祖と教団の行動の不一致からの解放でした。

先日ブックオフで100円だったので救世の法を買って読んでみました。
妄想全開で内容はひどいものなのはもちろんなのですが、大川隆法が自分の都合のいいように思想統制する意図がありありとしていて、それに非常に不快なものを感じました。
(教団をツッコむのに一番いいものは、大川の法シリーズの最新刊ですね。ツッコミどころ満載ですよ。)

みなさんにおかれましては、小さな言葉でもこれはどういった意味なのか、どういった意図があるのかをよくお考えになって、情報を判断していただければと思います。

ご無沙汰しています。オーケーです

2ちゃんねるの使者様。
いつも楽しくブログ拝見しています。

実は私も、結構な「逆境の家庭」で育ち、「愛」の問題については大変興味がありますので、
今までの体験を踏まえながら「与える愛」について思うところを書いてみたいと思います。

※他の人のブログにあまりコメントすることがないので上手く書けるかどうか?(^_^;)
 文章が読みにくいところはどうか大目に見てくださいね。

私は幼い頃からどうも「愛」に飢えていたらしく(子どもの頃はあまり自覚はなかったのですが)
今振り返れば本当にへんな子どもでした。
大人になってからも漠然とですが、「愛って何?」「私を愛してくれるのは誰?」などと思い、
生きにくさを感じながら日々を過ごしていました。

そんな私の目の前に、ある日ヒョコッと現れたのが「大川隆法」と言う人でした。
彼の書籍(特に「与える愛」と言う言葉)に触れた私は
いつしか「彼から学べばひょとしたら様々な疑問が解けて幸せになれるかもしれない」と思うようになり、
ワクワクしながらk会の信者になりました。

でも、k会でいくら勉強しても、実践しても(私なりにですが)なかなか幸せになれませんでした。
それもそのはずで、私はk会の教えでは解けるはずもない疑問(矛盾)を心に抱えていたからです。

それは

「『愛されたいと言う思い』は善か?悪か?」

と言う疑問です。

例えば、幼い子どもは皆「愛」を欲しがります。
でも私はそんな子どもに対して「愛を欲しがるのは『奪う愛』です。」とはどうしても言えません。
もしそれを言ったなら、大人になってからもまるで子どものように誰かに愛を求めて生きている
私自身を否定してしまうことになってしまうし、心の中で矛盾が起こってしまいます。

私はある日、「本部長」と言う肩書を持つ人にこの疑問をぶつけてみました。
するとその「本部長」は、その疑問にまったく答えることが出来なかったどころか、
挙句には「疑問を持ってはいけない、考えてはいけない」とまで言い放って帰って行きました。

私は愕然として「この疑問の答えはk会にはないのだぁ~」とその時見切りをつけ、
それからはk会とは関係ない心理学や自己啓発の本を少しづつですが読むようになりました。

すると疑問は徐々に解けてきて、今では、

「愛されたいと言う思い」は「人間が本来持つ本能」で、
「人が愛を知る上で無くてはならない羅針盤のようなもの」であり、本質的には「善性」である。

と、私なりの結論も出て、
私の心の中にあった「誰かに愛されたいと言う思い」も素直に肯定できるようになり、
今では本当に楽な気持ちで、ある意味堂々と(何の罪悪感も持たずに)

「他者から愛を貰って(私を愛してくれる人達に感謝しながら)幸せに生きること」が出来るようになりました。

使者様も書かれているように、私も、
人は「自分の幸せを心から願ってくれる誰かの思い(愛)」に触れることで「真の幸福感」を感じ、
その「幸福感」によってもたらされる「生きる自信」と「心の余裕」によって、
「見返りを求めず他の誰かの幸せを願う心」即ち「本当の与える愛の心」を持つことが出来るのだと思っています。

不幸にも「愛欠乏症」のまま、k会の「与える愛」と言う偏った造語に縛られ、
他者から「愛」を貰うことに罪悪感を持たされながら、本当の意味での「愛の供給(補給)」がなされないまま
今も「愛なき親(エルカンターレ)」にしがみついて日々辛い思いで頑張っておられる信者の方々に申し上げたい。

今のままではいつまでたっても、あなたたちの心が「愛」で満たされることは無いと私は思います。
むしろ教祖と同じ「餓鬼の心」で生きることになってしまうと私は(体験上)思います。

私はk会を退会して本当に良かったと思っています。
それは今がとても幸せだからです。

でもだからと言って私は決してk会を憎んでいる訳ではないのですよ。
むしろk会に出会ったおかげで「愛」について考えるきっかけを貰いましたし、
結果として今の私の幸福はk会のおかげだと言う感謝の気持ちさえ持っています。

これも「神仕組み」なのでしょうか?
「終わり良ければすべて良し」ということですね。(=^_^=)

もし今、k会に『犠牲と言う名の愛』を差し出すことに疲れ、生きにくさを感じている方がおられたら、
先入観なしで退会者の方々の言葉に素直に耳を傾けてみられてはいかがでしょう。
物事が多面的に見えて、今のk会では見ることのできない新しい景色が見えるかもしれません。
私がそうでしたから。一度試して見る価値はあると思います。

みなはんスンマヘン

ちょっとリアルでバタバタしとって返事が送れてスンマヘンでした。


お侍さん

電器屋のたとえ、その通りです。
うちの支部の信者の中には、
  「他人が嫌がってもいいのよ。私たちは最高の教えを広めてるんだもの!
   たとえ今は迷惑でも、あの世に帰ったら絶対感謝されるんだから・・・」
などとのたまうご婦人や、
アンケートと言って住所氏名を書かせて本人の知らないうちに信者にしてしまうじーさまとかがいるんです。
「最終的にその人のためになるのだから、多少の迷惑は許される」と思っているみたいです。

「与える愛」に含まれる矛盾とダブルバインドに関する部分は私もまだ考察中なのですが、
以前お侍さんに聞いた非ユークリッド幾何学の設定条件に、
「矛盾する設定がない事」が必要条件になっている事に通じるのではと思っているんです。



XYZさん

お褒めいただきありがとうございます。
最近気づいたんですが、モノを考えるのってかなりしんどいって思います。
信者さんはそれが面倒なんで大川教祖の発言に乗っかったり、
アンチとの対話を逃げたりしているのかなあと思っているんです。
これだと将来「大川隆法にダマされた!」とは言えなくなるんじゃ・・・?

カチカチさん&オーケーさん

カチカチさん

そうですね。
「許す愛」とか「生かす愛」とかも、普通の人が普通の場面でごく普通に実践していますね?
それを変な理論を振りかざし、さも「崇高な愛」みたいに言っているのが大川なのかも知れません。

考えたら「凡人では価値がない。天才になれ! 偉人になれ! 時代のリーダーを目指せ!」
と言っているのが幸福の科学の体質のような気がします。
それはそれで努力を促すという意味では価値があるのですが、
「凡人に価値なし」と一顧だにしないのが問題だと思います。

「凡人」を言い換えれば「一般国民」、「一市民」です。
「立派な一般国民」が税金をきちんと払い、「立派な一市民」が消費をしてくれるから日本が成り立つのだと思います。
そう考えれば幸福の科学が説くような、「高次元の愛」とか「非凡な人間」を目指す必要はないでしょう。
「リスペクタクル・シチズン」、「立派な小市民」であらんとする事も価値ある事かも知れません。
この辺が「サクセスNo.1」のネーミングに象徴されるように、
「一番を目指せ!」と唱える大川隆法に欠落した視点かも知れませんね?



オーケーさん

いつも私の記事をまとめてくださりありがとうございます。
最近は幸福の科学攻撃も必要性が薄れたので、信者さんらに向き合うために標準語で書いています(笑)。

オーケーさんも「愛に飢えていた子供」だったんですか?
実は私も似たようなもので、ひとつ間違っていたら大川隆法になっていたと思っています。
私の支部にはおどおどして自信のない男性信者が多いので、
幸福の科学は「愛欠乏症の人」が集まるのかと見ています。
大声を上げてえらそうに振舞う信者や職員もいるのですが、
話を聞いてみると子供の頃に貧乏で恥ずかしい思いをした人たちみたいです。
みんな何らかのコンプレックスを抱いている人が集まっているのが幸福の科学の正体かも知れないですね?

オーケーさんが仰るように、「愛を求め」たり「甘えること」は善でも悪でもなく、自然な事だと思います。
自分の親に愛情を求めて甘えたとしても、今度はその愛を子供に注いで上げればいいのではないでしょうか?
「愛は与えるもので、誰からも愛を受け取ってはいけない!」と言う考え方は極めて不自然です。
この思想が一般的になったら、ギスギスした世の中になると思います。
存分に愛情を受け取った子供は、愛情の何たるかを知るでしょう。
知っているからこそ、次世代の子供たちに「与える」事ができるのだと思います。

動物だって愛を欲しがっていますよね? 自然で普通の事だと思いますよ。
観念的な愛ではなく、具体的・現実的な愛情表現が必要なのだと思います。

   トントン、ここをこうしてください。
     http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=Broe21enP0k
   ちょん。ちょん。ねぇねぇ、撫でてよ~
     http://www.youtube.com/watch?v=NWiV8kCzcGk

愛とはそんなおおげさなものだとは思えないんですよね

2ちゃんねるの使者さん
相変わらずの長文のお返事ごめんなさい。


>「許す愛」とか「生かす愛」とかも、普通の人が普通の場面でごく普通に実践していますね?
それを変な理論を振りかざし、さも「崇高な愛」みたいに言っているのが大川なのかも知れません。

私の意見なのですが。
幸福の科学の教義の「愛」は、キリスト教の「愛」を使っているので、当然キリスト教の意味合いを含むと考えてみますと、2000年前イスラエルのユダヤ人における「愛」との今の日本における「愛」が同じにはならないことは容易に想像がつきます。

当時のイスラエルはローマの支配下におかれ、異教徒、異民族との交流があり、ユダヤ人は厳格な戒律を持つユダヤ教徒が主でした。

キリストは異教徒や異民族でも愛し合いなさいと言っています。当時のユダヤ人のユダヤ教徒は、異教徒は追い払うべきだと思っています。そこからキリストの「愛」の思想がどれだけ革命的だったかは想像がつくと思います。

今の日本で「愛」の思想をことさら声高にしなくても、自由が認められ、人権が認められ、2ちゃんねるの使者さんが言う通り、十分思いやりのある社会であると思います。

日本は、ほぼ単一民族で共通の認識を持っています。もともと仏教国で慈悲の教えがありますし、儒教の影響もあり、親孝行や仁の教えもあります。現代社会において社会倫理の断絶など言われますが、それでもお互いの助け合いが行なわれていると思います。

自然にお互い愛し合い尊重しあう社会で、「与える愛」「奪う愛」「生かす愛」「許す愛」などなど、このように段階を設けた愛の教えに何か違和感を感じるのは私だけではないと思います。(愛とは何かを学ぶことはいいことですが。)
階段を作ると差別意識も競争意識も出ますよね。「愛」の教えなのに。
競争意識を煽って教団へ貢がせる手法に完全に変わっていますし。
(私はこういった大川隆法独自の思想やパクった教義は彼の精神嗜好の表われだと思っています。よく検証する必要の理由は大川隆法の精神性を知ることにもなるはずです。)

「愛」はことさら声高に叫ぶものではなく、私たちの周りに自然にありますし、また自然でなければならないと大川隆法も言っていたと思うんですけどね。

また「愛」は、その人の立場の正義があるようにその人なりの愛の形もあると思います。
「愛」とはどのようなものかを言葉だけで教えられるのではなく、感じて、また、自分の愛の形を見つけ、人と対していくのがいいのではないでしょうか。
言われた愛の行動を実行するのではなく「私はこう思う!私はこうする!」のが大事です。



>「リスペクタクル・シチズン」、「立派な小市民」であらんとする事も価値ある事かも知れません。
この辺が「サクセスNo.1」のネーミングに象徴されるように、
「一番を目指せ!」と唱える大川隆法に欠落した視点かも知れませんね?

一番を目指せ!の教えは基本理念にもずいぶんありますよね。この辺も違和感あるんですよね。ちょっと普通の感覚ではない感じがするんですよね。

大川隆法が作った幸福の科学ワールドで一番は大川隆法。
一番をめざし、一番にならなければいけない思想は大川隆法が作ったもの。
何のために一番になるのか?霊的発達を遂げるために?
それは大川隆法ワールドの中でしか通用しない思想。
世界に幸福の科学を広めるために一番になるにしろ、広まったら一番は大川隆法。
なんのために一番になるのかよくわかりませんよね。
所詮幸福の科学ワールドではエラいのは大川隆法だけなのですから。

こんな教えを作る精神的な理由は、一番にならないといけない理由が彼にはなにかあったんでしょうね。一番にならないと愛してもらえなかったのではないでしょうか。
0点でも愛される子はいるんですけどね。勉強はダメでも得意なものを持っている子もいるんですけどね。そういう視点は一切無いようですね。

新興宗教はコンプレックス産業なんだなあとつくづく思います。

私は信者時代は学生で独身でしたが、今では結婚を経験し子どもがいます。
自分の視点がいろいろ加わったら、幸福の科学の教えが全然だめだと実体験上でもわかりましたよ。
心理学のほうがよっぽど役に立ちます。
子どもの頃にトラウマがある方は発達心理学を読んだほうがよいでしょう。
人がどのように精神発達・精神性を獲得していくかよくわかりますよ。
(心理学は自分の引っかかっているところを教えてくれますが、人生の答えはくれませんけどね。ちなみにフロイトとユングはお勧めしません。)

固めのコメントですみません

まじめすぎますかねえ。
2ちゃんねるの使者さんのキャラクターには合わないかも。
ごめんなさい。
私はこれでもお笑い大好きで、わざわざなんば花月に新喜劇を見に行ったクチなんですけどね。

出世なんかしなくていい! 僕らは「立派な庶民」を目指せばいい!

カチカチさん、
あまり的確な返事になってないと思いますが、最近の私の考えている事を書きますね。

大川は「一番を目指せ!」、「世間に影響を与える人になれ!」と説きます。
要するに「出世主義」、「エリート偏重主義」です。

でも最近私はこんな話を知りました。
お隣の韓国ではクラブ活動は本当に貧弱なんだそうです。
中学で野球をやっていた子が高校でも野球をやりたい場合は、
一定の成績を残さないと野球部に入れないのだそうです。

このやり方は「エリート選手」を育てるのには最高だと思います。
でもその反面、韓国野球の層の薄さを生み出す原因にもなっていると思います。
一握りの野球エリートだけが華々しい活躍をするけれど、それを支えるファン層が薄くなります。
プロ野球もやはり興行ですからファンがたくさんいないと成り立ちません。

日本の場合はそのような変な差別をしませんので野球が好きな子は自由に野球に関わります。
そしてプロになれなくても、甲子園に出れなくても、野球と関係ない仕事についても野球と関わります。
エリートになれなかった人は子供たち相手のコーチになるかも知れません。
そこまでできなくてもプロ野球を支えるファンになるでしょう。
層の厚さが日本の野球を支えているんだと思うんです。

同じように日本の「モノづくり」の強みは「中小の町工場の層の厚さ」が支えていると言われます。
一方の韓国はサムスン・ヒュンダイ・LGのような大財閥はあっても、それを支える下請けは貧弱です。
サムスンなんかは政府から優遇を受けて発展している一種の「政商」ですので、
サムスンがコケたら韓国産業界なんかお寒い限り。韓国経済も一気にコケると見ているんです。
凡人に価値を見出さず、エリート輩出だけを国策にしているのが韓国であり、
そこに大川の思想と共通するものを感じているんです。

私は別にエリートを否定していません。
ですが、大経営者・大政治家・大学者になれる才能を持った人は本当に少数派です。
大多数の人は学者になる頭も、スポーツ選手になる体格も、モデルになれる美貌も持っていません。
こう言うと幸福職員は「お前は初めから努力の価値を否定している」とか言いそうです。
ですがあきらめず努力すれば、池乃めだかが大相撲の横綱になれるでしょうか?

最近の私は「よき市民」、「よき凡人」を目指せばいいんだ、と考えを変えています。
全員がナンバー1になったら、全員が如来になったら、エル・カンターレ要りませんし・・・。
全員がピッチャーになったら野球チームとして成り立ちませんし・・・。

「駕籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」と言いますが、
立派な駕籠かき(立派なタクシーの運ちゃん)、立派な草鞋職人(立派な整備士)がおるから
社会が成り立っておるんやて考えるようになったんです。
大川隆法が言うように、「東大出て、世界に影響を与えるようになれ!」というのは違うと思うんですね。


追伸
わてももっと冗談記事を書きたいんやけど、
最近活きのええシンパは出て来んし、コーフクは元気ないし、オーカワは世間ズレが進行しとります。
わても糞生意気な信者相手には喧嘩上等なんやけど、
入院が必要な患者はんや、今にも首吊りしそおな犯罪者の足を引っ張るほどのサドっ気はおまへんのや。
わて、どっちかゆうたらMですからなあ・・・(笑)。

re:出世なんかしなくていい! 僕らは「立派な庶民」を目指せばいい!

2ちゃんねるの使者さん

>最近の私は「よき市民」、「よき凡人」を目指せばいいんだ、と考えを変えています。
全員がナンバー1になったら、全員が如来になったら、エル・カンターレ要りませんし・・・。
全員がピッチャーになったら野球チームとして成り立ちませんし・・・。

そうなんですよね。同意します。
みんながみんな東大に入ったら面白くないですよ。
個性と多様化を認めて、自己発揮しながら互いによい社会を作る努力をするのが健全だと思います。
とにかく一番になることだけに価値観を置いたら安らぎなんかないし、地獄でしょうね。

悲しいことですが、努力すればなんでもかなうわけではないんですよね。現実は。
私もあきらめず努力すれば、池乃めだかが大相撲の横綱になれるとは思えません。

努力をする、一番になるのは良いことなんですが、問題はなんのために努力し、一番になるかということです。
幸福の科学の教えはその辺りの理由については不十分なものであると思います。


>凡人に価値を見出さず、エリート輩出だけを国策にしているのが韓国であり、
そこに大川の思想と共通するものを感じているんです。

比較するとよく見えてくるものってありますよね。
2ちゃんねるの使者さんのレポートを読むと勉強になります。
精神性の高いものに共通するものがあるように、低いものにも共通するものがあるということでしょうね。

信者のネット工作員が全然いなくなりましたね。
たまにいたとしても教義の議論が全然出来ないていたらくで、すべては教祖の暴走のせいなんでしょうが、あの状況でまだ残っている信者さんの状態を考えると暗い気持ちになります。
2ちゃんねるの使者さんは信者さんに直接お会いになるわけで、きついことを言うには確かにおつらいでしょう。
ジョークも相手に余裕があれば笑えますが、余裕がないとただの一撃ですから。
とにかく早く気がついて脱会する人が増えてほしいです。

Re: re:出世なんかしなくていい! 僕らは「立派な庶民」を目指せばいい!

>2ちゃんねるの使者さんは信者さんに直接お会いになるわけで、きついことを言うには確かにおつらいでしょう。

実は以前は支部の仲間を洗脳から助けたいという考えだったのですが、
最近では女房以外はどうでもいいやになって来ています(苦笑)。
私は道を求めて幸福の科学に入ったのに、
なんか仲間たちは居心地の良さを求めてここにいるんじゃないかという気がしてきたからです。
商売と知りつつホストに熱をあげているお姉ちゃんって言った感じです。
困ったなあ(苦笑)。

いい方、でもね

2ちゃんねるの使者さん

私は身内で血を分けた人間でも脱会できる術は見いだしていません。
他人の人生の責任は取れませんから。
支部のちょっと縁があったおばちゃん、おっちゃんに脱会をいいたいのはわかるのですが、まずはあなたの大事な人を説得するのが一番だと思います。

2ちゃんねるの使者さんはいい人ですね。本当にそう思います。
ギャグはあなたの怒りを和らげた抗議ではないですか。
もしかしたらですが、私は教団に対して一切容赦していませんが、あなたはまだ容赦しているように感じます。
容赦する必要はないのですよ。おかしいものはおかしいというだけなのですから。
説得できるだけの術を持って説得できればいいのですから。

>最近では女房以外はどうでもいいやになって来ています(苦笑)。

あたりまえだと思います。
大事な方をまず脱会させるようにお考えください。
その実績があとで参考になる意見になる可能性が高いと思います。

まずは大事な人を説得して下さい。
それが一番大事ですよ。
あなたの人生とあなたの人間関係をまずは大事にしてください。

Re: いい方、でもね

カチカチさん、ご助言ありがとうございます。
女房の洗脳は解けていませんが、
いくらお金をつぎ込んでも選挙の票には効果がない事は理解したようです。
今は大学の方に夢中ですが、それでも月5万円以内で収める約束を承知しました。
とりあえず約束は守っているようなので、あまりゴリ押ししないようにしています。

思いやりのあるご夫婦

私は離婚してしまったクチです。
教団も大きく関連しているとはいえ、個人の問題が大きいのは否めません。
教団以前に「お前なんかとやっとれん!」と言う理由です。
信者でも「お前とずっとおりたいんや!」だと忍耐になるわけです。その人なりの事情ですよね。
とはいえ片方が信者で、片方がアンチは難しいですよね。

5万かあ〜。
正直きついですね。
年間60万ですよ。
子どもいる家庭だともめ事の種になるのは間違いないでしょう。
幼稚園の年間保育料が30~40万です。一人当たりです。
有名私立大学理系の一年間の授業料は100万以上です。

サンプル→年収500万円の家族4人で、家賃8万(8×12=96万)一ヶ月の生活費33万(貯金なし)では、いかにきついかお考えください。

教団の信者への負担がいかに重いか残っている信者はわからないでしょうね。
金は払う、ボランティアの時間は取られる、セミナー等の出席に促される。
幸福の科学は一般に広まらないのは残っている信者にはなかなか実感されないのではないでしょうか。

私は他宗教の勧誘を良く受けます。
聞いてくれると思うのか誘いを受けますが、宗教のランクはあると感じていますよ。
(もちろんすべて断っていますけど)
幸福の科学はエリート意識が強くて、勉強させられお金がかかる宗教です。
みんな出来ないからと言う理由でエリート意識をくすぐるのなら、

うちでは無理だわ〜。

ちょっとお邪魔♪

ごめんなさいね、話が盛り上がっている中失礼します。

先に「ユークリッド」のほうから。
まぁ厳密に言うと、数学と宗教ですから、分野が大きく離れてしまいますが・・・。

設定(数学的には定義)の段階で、無理や矛盾があれば、
そこから見出した教義(公式や定理など)は、通常使えないでしょうね。

「与える愛」が矛盾しているかどうかは別としても、
やはりそこには無理がある(と思う)ので、必然、その結果として出てくるもの
(教義とか、公式定理の類)は、怪しいですね・・・。

例外的にと言うとあれですが、人の心の問題ですからね。
数学のように綺麗に答えが出るはずもなく。

ですから、今言えるのは「間違いだと思う、間違いだと感じる から これ以上進むな!」
って事だと思うんです。

誰が退会させたくて、誰が責任者でとか、そういうのはたくさんあるはずで
 #それこそ事情でしょうからね。
その人その人であわせて行けばいいと思いますよ。

もう一点、1位のランナーがいるためには、必ず2位のランナーがいるはず。
と、言うのを思い出したので、なんとなく書いておきます^^;

4番バッターが毎打席ホームラン打っても、ほか全てが凡退していれば、
3点しか入らない。(9回は三番までしか回らないですね)

そもそも、4番を打つためには、前に三人いないといけないのですから。

東大に入ることがすべてではないし(入って勉強しなければ何もなりません!)、
1位になるのが全てじゃない。
あくまで結果で。

誰かが1位になるために、ほかの誰かが犠牲になるんじゃなく
 #自転車レースなんかは、チームですからね。
 #エースを勝たせることが、チームの役目ですから。
自分が一番になろうと努力することは大事でしょうけれど、
あくまで結果で、目指すのは1位ですけどね、結果二位ならそれはそれでいいんです。

 だから レンホーは 間違ってます。
 2位を狙ってはいけない!

書かれてあるけれど、自分が1位に成ろうとしない努力は、
努力じゃないですよ。 それは 欺瞞 です。
 #チームではないですからね・・・・・。駒くらいにしか思ってないでしょうから。
 歯車にもなれないわけでしょうし。

長々失礼。 (=^. .^=) m(_ _)m (=^. .^=)

毎度どおも!

カチカチさん

うちは子供がいないんで何とかなっているんです。
女房も仕事持って働いていますんで、
そっちの収入の使い道まであんまりとやかく言えないんです。



お侍さん

幸福の科学は本に書いている事だけを読むと、矛盾が無いんです。
でも実際の活動では本に書いている事と矛盾する事を強要されるんです。

たとえば本では「会社の社長がアフリカ難民に同情して全財産を投げ出す事は立派だ。
でもそれは知恵がない。
会社を潰して多くの難民を救おうとするより、
会社を存続させて少ない数の難民でも、永続的に救うほうが良い」と言っているんです。
要するに「家庭を壊してまで多額のお布施をするより、
少なくてもいいから計画的に息の永いお布施をせよ」と言っているんです。

ところが会に入ると「家庭を犠牲にしてでも、今この救世事業に貢献する事に価値がある」と言われるんです。
信者以外の人には見えないんですが、完全なダブル・スタンダードなんですよ。
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プロフィール

エル・バカターレ(旧名:2ちゃんねるの使者)

Author:エル・バカターレ(旧名:2ちゃんねるの使者)
 
 幸福の科学の現役信者だす。すでに心は退会者で批判者(アンチ)だす。内部告発するために今でも信者でいてます。

 大川隆法は幻聴が聞こえるタイプの自己愛性人格障害者、幸福の科学は悪気はないけど結果的に詐欺行為をしてしまっとる団体やて気づきますた。ゆうたら『宗教もどき』、『宗教ごっこ』、『いんちき宗教』だす。ナンボ拝んでも救われまへんで!

 幸福の科学は大学もどきのHSUゆう私塾を開学しましたんやけど、教団規模のキャパを越えてますんでいずれ財政破綻する思おてます。社会問題なったら大変でっせ! 早めに退会するんが一番だす。信者はん、なんでも答えますんで疑問や質問は『質問コーナー』へどおぞ(メルアドは公開しとりまへん)!

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