【新説】 「講談社フライデー事件」の真相! 【「米国講演希望」はんの見解】
学園生のみなはんとか、若い信者のみなはんは知らん思いまんが、幸福の科学は1991年9月に『講談社フライデー事件』ゆう騒動を起こしたんだす。
事件の発端は写真週刊誌『フライデー』が、「大川隆法はんがノイローゼになって、霊能者のトコに人生相談に行った」ゆう記事を掲載したコトやったんだす。これに激怒したオーカワはん、フライデーと講談社に前代未聞のイヤガラセ攻撃を始めたんですわ!
信者に命令して、朝から晩までフライデー編集部にクレームの電話をするわ、クレームをFAXで送りつけるわ、デモはやるわ、地方本部単位の信者連名で裁判を起こすわで社会問題になったんだす。講談社に送りつけられたFAXは約55,000通。重さにして240kgにまでなったそおだす。電話は無言電話がほとんどやし、FAXも文書をセロテープで「無限ループ」にしたモンが送られたりしたそおなんだす。
おかげで講談社の通信機能は完全にパンク。『フライデー』とは関係ない講談社系列の子供雑誌の編集部にまで抗議が入ったり、『日刊ゲンダイ』が発行されとらん四国からクレームの電話が入ったり、講談社側が臨時の電話を設置しても、その番号にまでクレームが入るゆう凄まじさやったそおですわ。教団は「信者が自主的にやった事」ゆうてましたが、こんなん組織でやらんとでけんコトだす。当然、教団が信者に命令してやったコトでっせ。
おっちゃんは当時熱烈信者やなかったんでナンもやっとらんかったんでんが、知り合いの信者はんに頼まれてデモには参加したんですわ。もお記憶がアイマイなんやけど、中野のオリンピックゆうトコからスタートして、確か乃木坂通って、確か表参道通って、護国寺の講談社前までのルートでシュプレヒコールしとったんだす(わては中野坂上の山手通りに面したオリンピック前テ記憶しとるんでんが、どおも中野富士見町のオリンピックビルの勘違いみたいだす)。
「ヘアヌード反ー対!」
「フライデーは廃刊せよ!」
「講談社社長・野間佐和子を逮捕せよ!」
恥ずかしながらおっちゃん、当時はそんなマネをしとりました、ハイ! シュプレヒコールしながら仲間に、「イヤ、わて、どっちかゆうたらヘアヌード、好きやねん・・・」ゆいながら、「ヘアヌード反ー対!」叫んどったんですわ。アホやねー!
ホンでもわてがこん時聞かされたデモの理由は、「フライデーはヘアヌードを載せている。フライデーは日本の航空会社が機内に置いとるせいで、外人はんから日本の評判が悪くなっている。自社の利益のために日本の評判を落とす色情週刊誌と講談社は潰さなければいかん!」ゆうセツメイやったんだす。あとになって幸福の科学は裁判を起こしたんやケド、その理由が「大川隆法はんへの批判記事を書いたのはけしからん! 信者の宗教的人格権を犯された!」ゆうのを知って、「なんや、ヘアヌード関係ないやん!」思おたんですわ。当時のわてはヘラヘラしたノンポリやったんで深く考えなかったんでんが、ヘアヌードをけしからんテ思た信者が「自主的に」、「講談社に対して」、「抗議の電話やFAXやデモや裁判を」起こしますやろか? 不快に思おたかて「信者が自主的に」ここまでしまへんデ! これ、要おするに、教団組織としての行動やし、当然大川隆法はんの命令ですわ! ホンで教団は当時のわてを、「これはヘアヌード反対のデモやから・・・」テ嘘ついて騙したワケですわ。けがれを知らない純粋な美青年やったわてを! よよよ・・・(ここでおもむろにハンカチを取り出し目頭を押さえる)。
まあ、『講談社フライデー事件』も騒ぎの割には裁判ではほぼコーフク側の敗訴やし、騒ぎの発端も大川隆法はんの個人的恨みゆうのも判って来とります。直接の原因は「墨田区で人生相談をやっとった石原常次はんゆう方のトコに、大川隆法はんが”ノイローゼ”の相談に来た」ゆうのが『フライデー』の記事になったゆうのが発端みたいなんだす。
【参考】 『フライデー』やのおて、『サンデー毎日』の記事やケドね・・・。
ホンでも今も当時もわてがワカラン謎がおますねん。大川隆法はんがナンボ「ノイローゼ記事」を書かれたからゆうて、「講談社と全面対決」までする気になったんでっしゃろ? こんなん放っといたら「人のうわさも75日」テ思うんだす。なんでそこまでキレたかがワカランかったんですわ。せやけど今回アンチブロガーの「米国講演希望」はんが、新たな視点をゆうてくれはったんでご紹介いたしますわ! わてもけっこお腑に落ちたんだす。
014-11-14 20:21:58
私はフライデー事件について通説とは全く異なる考えを持っている。いわゆる「ノイローゼ報道説」が事件の真の原因ではないと考えている。
実は事件直前である1991年8月30日(金)発売のフライデーに原久子氏(会員番号No.1)の退会を暴く記事が出た。この記事こそが事件の「引き金」を引いたと睨んでいる。大昔のことでよく覚えていない人も多いだろうが、アンチ幸福wikiを参考に事件を時系列的に振り返ってみよう。事実と異なる所(フライデーの記事内容)は私が修正した。
8月 9日(金) フライデー8月23・30日合併号に、
「大川隆法ノイローゼ」の記事が掲載される。(*)
8月30日(金) フライデーに原久子氏の退会を暴く、
ルポライター早川和廣氏の記事が掲載される。
8月31日(土) 大川氏、休日にも関わらず単独出社。講談社への攻撃を命令。
9月 1日(日) 講談社との戦争本部を設置。
9月 2日(月) 講談社への攻撃開始。
(*) 赤文字はわての追記だす。詳細はこっちの「概要-推移」の1~6行目を参照のこと。
事件発生当時を振り返ると、原さんの記事を読んだ大川が怒り狂ったと考える方が自然だ。もし教団側が主張するようにノイローゼ記事が問題だったならば、なぜ9月2日まで「決行」を待ったのか。ノイローゼ記事は、フライデー8/23、8/30合併号、多分お盆休み前の8月9日発売号だろう(←その通りだす! Wiki参照)。事件より三週間も前の記事だ。大川氏がタイに旅行に行っていたせいもあるだろうが、もっと早く行動出来ただろう。8月31日に大川が慌てて行動した理由は、ノイローゼ説では説明出来ない。その事件直前に出たフライデーの記事の内容を知りたい人も多いだろう。記事が手元に無いので記憶を頼りに書きます。
早川氏が原さんに取材を申し込んだが、断られた。早川氏が原さんに親しい人(お母さんだったかな?)にインタビューした内容だった。原さんは退会について多くを語らないが、「幸福の科学が普通の宗教みたいになってしまったから辞めた」と語っていた。記事は「最大の協力者を失った大川氏と幸福の科学は、これから一体何処へ向かうのか…」というような文で結ばれていた。写真誌なので原さんの写真もあった。顔は目隠しが施されていたが。記事の中で原さんの名前は仮名の「小田さん」だった。
「何でこんなことに気付いたのか?」と不思議に思う人も多いだろう。それは事件発生と私の退会時期がピタリと一致しているからだ。私が退会した途端、事件が起きた。お恥ずかしいが、「私が辞めたせいで事件が起きたのか?」と本気で考えたこともありました。無論、それは誇大妄想に過ぎない。私の退会など事件と何の因果関係も無い。私は自分の退会とは関係ない、事件が起きた「真の理由」が知りたかった。事件から何ヶ月も考え続け、翌年92年に思い当たることに気付いた。退会直前に読んだ原さんの記事のことだった。
あれから20年以上経ってしまった。物言わざるは腹ふくるるわざなりと言うが、言いたいことを言わずに我慢するのは苦しい。この「仮説」を一般公開するのは今回が初めてだ。コンタクトの取れた一部のアンチに伝えたことはありましたが。公開すると何か災いが起きるような恐怖心があって、ずっと封印してきました。もうとっくに「時効」は過ぎているだろうから、思い切って書きました。
私の弱点は手元にその記事が無いので、本当に事件直前に原さんの記事が出ていたと証明する術が無い。誰か、例えばカルト新聞の方でも調べてくれませんか。その記事はフライデー1991年9月13日号かと思われます。証明は出来ませんが、替わりに面白い動画を見つけたので紹介します。Enjoy!
これ、確かに「新たな視点」だす! 『フライデー』のノイローゼ記事でキレたんやったら、なぜ20日も間があんのんか?
2014-11-15 23:28:56
前回の投稿に少し補足します。あの書き方だと原さんの記事で事件が起きたと思う人もいるかもしれません。原さんの記事はあくまでも事件の「きっかけ」に過ぎないと私は考えています。大川氏はフライデーに報道された全ての記事に腹を立てていたでしょう。ただ原さんの記事は、フライデーの追及が会の中枢にまで迫ってきたものだったので、他の記事とは少し違っていたでしょう。
大川さんもあの記事を読んでとうとうブチ切れてしまったんでしょうなあ。どのような非常識・反社会的な手段を使ってでもフライデーの連載を止めようとして、あのような暴挙に出たのでしょう。理性を完全に失ってしまったようです。「ノイローゼ問題」で始まったフライデー事件ですが、皮肉にも大川氏の精神状態が正常でないことを露呈してしまいました。教団がノイローゼ報道を問題にしたのは、それしかケチをつける所が無かったからでしょう。フライデーの他の記事は、悪意はあったかもしれないが、間違いは無く、ノイローゼしか攻めるところが無かった。
ノイローゼ報道は、抗議を正当化する為の「大義名分」にしか過ぎなかった。だから説得力に欠ける。本音と乖離しているからだ。大川氏の本音はおそらく(自分の過去のみならず、原さんの退会まで暴露されて頭に来た。講談社の通信機能をパンクさせれば、連載は止まる、廃刊に出来る)と言ったものだったのではないでしょうか。
ある意味、少しは大川さんに同情します。もしわれわれ凡人でも、私生活や過去といったプライバシーが毎週毎週週刊誌に連載され全国で売られたら…発狂してもおかしくない。大川氏はわれわれ凡人と同じか、それ以下のノミの心臓の持ち主だったのでしょう。
フライデー事件が幸福の科学史上「最大の事件」であることに異論はないでしょう。この仮説が少しでも事件の理解に役立てば幸いです。
こら確かにオーカワはんもウップン溜まって当然ですわなあ! わてでもブチキレまっせ! ホンでも「再誕の仏陀がブチキレ!」ゆうんもなんかなあ・・・。この頃のオーカワはん、『忍耐の法・初級編』くらいでけんかったんですやろか? 当時も、「相手が出した毒饅頭を食べなければ、毒饅頭は出した相手が食べる事になる(「相手の悪意を聞き流せば、悪意は相手に返る」ゆう意味)」とかゆう教えを説いとったんですケドなあ・・・。
オーカワはんがブチキレる前の講談社の連載報道
5月9日発売「スコラ」(子会社のスコラ社)5/23号
5月13日発売「週刊現代」5/25号
5月31日発売「フライデー」6/14号
6月24日発売「週刊現代」7/6号
6月24日発売「『日刊ゲンダイ」(子会社の株式会社日刊現代)6月25日号
6月25日発売「『日刊ゲンダイ」(子会社の株式会社日刊現代)6月26日号
6月26日発売「『日刊ゲンダイ」(子会社の株式会社日刊現代)6月27日号
7月5日発売「月刊現代」8月号
7月12日発売「フライデー」7/26号
7月19日発売「フライデー」8/2号
7月22日発売「週刊現代」8/3号
8月5日発売「月刊現代」9月号
8月9日発売「フライデー」8/23・30号 ← 「ノイローゼ」報道
8月23日発売「フライデー」9/6号
8月30日発売「フライデー」9/13号 ← 「原久子」はん報道
2014-12-02 19:10:42
>わてもノイローゼの記事だけでフライデー事件起こすのは不自然に思おとったんでんが、ノイローゼ記事+原久子記事のダブルパンチやったらわからんでもないでんな?
幸福の科学を深く知る人にとって、ノイローゼ記事だけで事件を理解、説明しようとすると無理があります。たかがノイローゼ報道であれ程怒り狂うとは…理解に苦しみます。
大川が決して語らぬ別の理由があったのでしょう。彼は全ての己の報道記事に腹を立てていたでしょうね。私は当時フライデーの連載記事を毎週楽しみに愛読していました。ネットが普及する以前の時代、週刊誌位しか情報収集の手段はありませんでした。
具体的に面白かった記事は、中川忠義(善川三郎)が昔親戚から「忠やん」というあだ名で呼ばれていたこと。忠義は取材にペラペラ喋った口の軽い親戚のことを憎んでいたようです。思わず赤面してしまう様な、恥ずかしい昔のあだ名を暴露されてしまいましたから。大川の兄中川力(富山誠)が昔卓球部に所属していた(笑)写真もありました。
問題とされたノイローゼ記事には、父忠義、大川の結婚写真、隠し撮りされたと思しき母君子の写真と、父母と嫁の写真が掲載されました。大川はノイローゼ記事よりも、嫁や母の写真を暴露されたことに怒ったのではないでしょうか。
そしてトドメに原さんの記事が出ました。この記事、ネットで検索しても見つからないのですが、関谷さんの『虚業教団』第五章「これがフライデー事件の真相だ」にこんな一節がありました。
「すでに自分の生活に戻った中原幸枝(註:原久子はんの本名だす)のプライベートにまで、無遠慮にカメラが向けられた 」
フライデー事件は文字通り青天の霹靂の如く、突然発生しました。事件を理性的に理解しようとしても、訳がわかりません。私は事件の「本当の理由」が知りたくて、事件を時系列的に追ってこんな仮説を立てました。
講談社への電話・FAX攻撃は「紛うかたなき愚挙、暴挙」であって、大川や教団のいかなる弁明も私は一切認めません。大川の本音は、ノイローゼ記事が誤報だったことよりも、己や身内の過去や写真、そして原さんの退会まで暴露されてブチ切れてしまった…と考える方が遥かに理解しやすい。
大川が絶対に口を割らない以上、外部から事件を推理する他ありません。実は私はこの仮説に到達するまでに、物凄い集中力、労力を費やしました。そんな私の苦労が少しでも役に立てば嬉しいです。
非常に興味深かったのは赤文字で書いた部分だす。「ノイローゼ記事」の時に、大川隆法は自分の家族のプライベートを掲載されたのが恥ずかしかったん違ゃうかゆうんがわての意見だす。オーカワは「本名、中川隆」、「ペンネーム、大川隆法」でやっといてナンの問題もなかったんに、わざわざ戸籍を「大川隆法」に変えたんですわ。
教団史とかにはオーカワはんの高校生時代・東大時代・トーメン社員時代の写真がぎょうさん掲載されとります。ホンでもわてが気になるんは、「いっつもひとりで写っとる」ゆう点なんだす。友達や、同僚や、上司・後輩との「集合写真」が一枚もないんですわ! おそらくいっつも「(ひとり)ぼっち」やったんと違ゃいまっしゃろか?
こんな過去ならやっぱ消したい思おて当然だす。お父はんは屈折した失敗者、お母はんは田舎町の美容院のおばはん、お兄はんは絶えず自分と比較される優等生。こんな過去は全部消して、「幸福の科学グループ創始者兼総裁 大川隆法」になりたいゆうんがオーカワはんの本音かも知れまへん。せやからわざわざ戸籍を「中川隆」から「大川隆法」に変えたんかも・・・。
「米国講演希望」はんの検証を読んでのわての見解なんでんが、『講談社フライデー事件』へのわての推理はこおだす。
オーカワは講談社の度重なる報道を不愉快に思っていた。
⇒ そこへもって、「ノイローゼ記事」と同時に家族の写真を載せられた。
⇒ とりあえずタイ旅行に行ったが、帰って来たら「原久子」はんの記事まで載っていた。
⇒ ここでブチキレた!
⇒ でも、消したい過去の「家族の写真を載せたのが悪い」とはゆえんので、
「ノイローゼ記事」を口実にした。
こんな風に考えとるんですわ!
tag : 講談社フライデー事件 大川隆法の心理分析